『社会人大学 人見知り学部 卒業見込み』について

僕はオードリーが好きだ。

 

中学か高校生のころから、ずっとオードリーのオールナイトニッポンを聴いている生粋のリトルトゥース(オードリーのオールナイトニッポンのリスナーのこと)だ。

 

結婚生活中はなかなかしっかりラジオを聴けるときがなかったのでしばらく聴けておらず、武道館ライブもいけなかったのだが。

 

そのオードリーの若林のエッセイ『社会人大学 人見知り学部 卒業見込み』を最近改めて読んだ。

7年前ぐらいに出た本で、当時からお守りのようにずっと持っている。

内容は2009年のM1以降、爆裂に売れて今まで社会とのかかわりのなかった当時30歳前後の若林が社会人1年生として社会の何たるかを学び苦悩してく姿が描かれているエッセイだ。

 

 

大学生ぐらいの時に最初に読んだときと、29歳になって仕事もやめてニートになり社会から切り離された状況で過ごしている今とでは、読了感が全く違うことに驚いた。

 

まず気が付いたのは、このブログの書き方がなんとなく本書のエッセイの書き方似ているということだ。無意識のうちに、「若林みたいなエッセイを書いてみたいなー」という思いがあったということにハッとさせられた。少し恥ずかしい。そこまで面白く書けている感じもないのでより恥ずかしい。

 

それとなんでこんなにもこの本に、オードリーの若林正恭に惹かれているのだろうかということについて。それは彼の自意識過剰さと、その自意識過剰さに気づいてなんとか社会に合わせていくように角が取れていく考え方がありありと書かれており、それにとても共感したからだと思った。

 

僕はこんなブログを書こうとするぐらいには、自分にあまりにも意識が向いていて自意識過剰で、中学2年生から感覚の変わらない中二病だ。

 

本に書かれていることは、まあ人が違うから全部が全部共感できるわけではないが、かなり多くの部分に共感できた。彼のその自意識との折り合いのつけ方が、とても苦しみながら足掻くようであり、リアルで僕の思いを受け入れてくれるような感覚があり、自分が見つけられていなかった道を示してくれているようでもあり、グッと引き込まれた。

 

そして29歳になった今、この本を読んでなぜか涙が出てきてしまった。

苦しみ足掻き、なんとか社会に食らいつく姿が、少し自分と重なったのか。なぜなのかはわからない。特に「人間関係不得意」の伝説的はがき職人ツチヤタカユキの話は、読みながらドトールで鼻をズズッとすするぐらいに涙が出てきた。ほんとになぜなのかよくわからない。色々考えすぎている僕に刺さりすぎてしまったのかもしれない。

 

読んでいて刺さる言葉はたくさんあったが、そのうち特に今の僕に刺さった言葉をいくつか記載しておこう。

 

「ネガティブの穴の底に答えがあると思ってたんだろうけど、20年間調査した結果、それただの穴だよ。地上に出て没頭しなさい。ネガティブをつぶすのはポジティブではない、没頭だ。」

 

「性格というのは形状記憶合金のようなものだ。簡単に変えられるものではない。」

 

「感じ方を変えなくていいんだよ。隠蔽でいいんだよ。隠蔽や捏造の高さを『大人』というのではないか」

 

他にも、面白い内容がたくさん書かれているので、ネクラな人間ほど読むことをお勧めしたい。

今回、いろいろと悩んでいたり考えていたことの道筋が少し見えたような気がした。

本当に読んでよかった。

 

『社会人大学 人見知り学部 卒業見込み』は僕にとってバイブルだ。

これからも大切に、生きていてつまづいたり、逆に調子乗ってしまっているときに読み返していこうと思う。

 

 

若林のエッセイで続編の『ナナメの夕暮れ』という本が先日文庫版で出版された。

通常版は何年か前に出版されて当時買ったのだが、読むような余裕がなく色々な状況が重なり読むことなく古本屋に売ってしまったので手元になかったため、文庫版を改めて購入した。

 

今は余裕が有り余るくらいにあるので、さっそく読んでみようと思う。