頭の中の混沌について

 

最近自分の考えの移ろいが激しい。

 

以前、オードリーの若林のエッセイ「社会人大学人見知り学部卒業見込み」について書いたが、その続編「ナナメの夕暮れ」を先日読み終えた。

 

自分にとってのバイブル2冊目となった。とても充実した内容だった。

この本の中では、若林は1冊目のエッセイに書いた内容や以前の考え方を否定しているというか、とらえ方が変わってきているようなことがよく書かれていた。

 

読みながら共感していた内容が、実はもっと違うとらえ方ができるということにハッとさせられたり、今僕はアラサーなわけだけど、40代が近づいてくるとまた違う感覚になることなどが書かれていたので、今僕が感じている・考えていることもいずれまた違う感覚になっていくのだろうかと考えさせられたりした。

 

面白いのでぜひ読んでもらうことをお勧めする。

 

この本を読んだ影響や、最近会った人や触れたものの影響で、僕の頭の中は目まぐるしく移ろい混沌としつつある。

 

以前にも書いたが僕は自分のことを自意識過剰だと思っている。

自分のことばかり、ずーーーーーっと考え続けてしまっている。

自分は全く完璧な人間ではないと思いつつも、色々経験して「自分にはこれができる、こういうところは他の人と比べてもいいところだ!」と自信を持っているものもあったりする。

 

特に昨年実家に帰ってきてからは、失ったいわゆる「自己肯定感」を取り戻すために、自分の良い部分を何とか見つけ出そうと自分で考えたり人に聞いたりしてきた。

そうしているうちに、気が付くと「自分は人としてあるべき姿、最もよい生き方・考え方を持っているのではないか、人に好かれる性格、言動ができているんじゃないか」といううぬぼれに近い考えを持つように最近なってきてしまっていることに気が付いた。

 

でもそれは本当にうぬぼれで、実際はそんな自分は立派な人間でもなんでもないというj事実を最近突き付けられている。

 

たとえば僕は「人の話を聞くのが得意」と思って“いた”。

でも先日ある人に会って話をしていたのだが、その人と話すときその人の話を聞くとか話題を引き出すとかそういうことは全然できておらず、「ちょっと盛り上がりそうな面白いフレーズを思いついたぞ、どのタイミングで話そうか」とか、そういうことばかりを考えていることに気づいてしまった。基本的な考えのベクトルが自分に向いていることがわかってしまった。

全く「話を聞くのが得意」ではないことがわかってしまった。

 

人と会った帰り、結果その人のことを色々知ることができたと思って帰ることは少ない。

楽しかった という感想はあるが、それは「自分のことを話すことができた、自分のコメントで場を盛り上げることができた」という自己満足でしかないのではないかと思うことが多い。

 

一方でいろんな本を読んだり人の話を聞くとその「自己満足」だとしてもそれすらも肯定してあげることが「自己肯定感」につながるだとか、ありのままの自分でいることを認めてあげようとか、また違う視点の意見が出てくる。

 

ある考えを持っていてそれが正しいと思っていたら、どこかで「その考えは間違っている」と否定され、「こういう考えをした方がよい」といわれる。

そして考え方を正そうとしていたら、また別の場所では「もともと考えていたことが、本当は正しいんだよ」なんて言われたりする。

正しいとは何なのだろうか。

 

この世の物事には答えというか、「真理」とでもいうようなものがあると信じていた。

その「真理」にたどり着けるようにと色々考えて、いろんな人や本やものから情報を集めてきた。それらしきものを見つけて、そのような人間になろうと完璧を求めてきた。

こうやって自分の生き方の「真理」を見つけようとすることを「自分探し」なんて言うのだろう。

 

でもどうやらそんな「真理」なんてものはないみたい。

 

だってみんながいう「真理」っぽいことがそれぞれ似てることもあれば、正反対なこともあるし、自分の考えが「真理」だと思っていたら、実は正しくないことだったりするわけで、去年帰ってきてからずっと何か月も、もっと言ったら思春期の頃からずっと考えてきていたけど全然「真理」らしきものにたどり着ける気配がないから。

 

考えることに疲れてしまった。

 

普通の人はこんなに自分のことについて考えないのだろうな。

「自分探し」なんてものは、ないものを探すようなものなんだろう。

いまこう思っていることが、今僕にとっては「真理っぽい」のだけれども、これまたいずれ違う考え方が出てくることになるのだろう。そう思うとグルグル考えをめぐらして、「自分探し」だけを必死にこいて時間かけてやっていてもしょうがない気がしてきている。

 

 

このように頭の中では抽象的で様々な考えが巡って大忙しなのだけれども、現実世界の現象として絶対的な「真理」がある。

 

それは僕が今仕事をしていなくて、仕事探しが実績として全く進んでいないという事実。

 

頭の中で、自分が本当にやりたいことは何かとか、できることは何かとか、成し遂げたい夢は何かとか、答えが出るかどうかわからないものをずー―――――っと2か月3か月考え続けてきたけれども、結局それらしきものがぼんやりわかるばかりで、答えなんて出ないで、状況は全く変わらず時間だけが過ぎてしまっている。

 

 

今までの時間が無駄だとは思わないけど、時間の使い方としてもったいなかったなと思う。

「100点の絶対的な正解」という存在しない問題の答えを出そうとして時間を費やすより、「60点ぐらいのまあまあ正解」なら割とすぐ出せる問題を解いた方がいい。2問解けば120点で上回るんだから。

 

 

自分に絶対的な考え・信念がある人にあこがれるけれど、自分の性質にはそういうことは合わないみたい。

流され考えがコロコロ変わるのが自分なのかもしれない。

 

「暫定」の自分でとりあえず進んで行って、ちょこちょこ修正を加えていけばいいのだろうな。

 

毎日ドトールで自分探しをしているわけにはいかないと思ったので、最近はできるだけ就活を進めるようにしている。動いてしまえば案外悩んでいることもすぐ解決したりする。

 

「あぁ、こんなもんか」と思うことが多い。

 

世の中は自分の頭の中よりも、だいぶシンプルなのかもしれないな。

 

こないだゴルフに行ったときに気づいたけれど、17ホール目ぐらいの疲れて力が入らないぐらいの時の方が、いい具合に力が抜けていい打球が飛んだりする。

 

案外力を抜いたほうが、ことがうまくいくことが多いのかも。

 

もう頭の中のゴルフ場を何ホールも歩き回って疲れちゃったから、頭の力抜いて生きてみよう。

 

なんかうまくいきそうだ。