バッキバキに”かかって”しまった話

 

野球のバッティングでは、構えているときはリラックスして、インパクトの瞬間だけ力を入れると強い打球が打てる。

 

これは日常生活でも言えることだと思う。

 

先日、準備段階から力入りまくって、バッキバキに”かかって”しまい情けない結果になったので気持ちの整理もかねて書き残す。

 

先日、大学の時の1つ上の先輩の女性と2人で飲みに行った。

以前10月ごろに1回友人含めて3人であったが、それ以来何度も誘っては都合がなかなか合わず会えていなかった方。

大学の時からの憧れの先輩で、久々に会って話して、離婚したばかりの情緒不安定期だったこともあってか、正直めちゃめちゃ好きになってしまった方。

 

会うことになった経緯は、水曜日に「今週末金・土・日のどこか空いてたら飲みませんか」と送ったらしばらく返信がなく、諦めかけていたところ土曜日の夜23時頃に「明日ならいいよ」という返信が来て急遽会うことになったという感じ。

 

突然のことでテンション急上昇。焦りと喜び。とんでもないチャンスが巡ってきたと

 

結果から言うと、僕はその会った日朝から寝るまで、気合が入りすぎて完全に”かかって”いて、ゴリゴリの大スベリをかました。

 

まずその日は、一応翌日に面接が控えていたので午前中に面接の準備をして、僕は午後からフリー。

約束の時間は18時だったので6時間ほど時間がある。

とりあえず待ち合わせの駅に行き、周辺を散策。急遽決まったので店も特に決めてなかったからよさそうな店を探す。

この店探しも結果的には大失敗。

僕は結婚生活の3年間で店探しスキルとして「安くてうまい大衆酒場」探しの嗅覚だけが鍛えられていて、デートで使えるようなちょうどいい店を探す能力は著しく低いのをじかくしていなかったから。

 

 

そして探しながら、どんなことを話そうか、どんなことを聞こうかとめちゃめちゃ考える。

そしてまあこの辺かなという店を見つけて目星をつけ、近くのドドールに移動。

一人作戦会議を始める。

この辺から、僕は目がバッキバキになって完全に”キマッてる”状態になっていく。

 

インスタを見ると、彼女の同級生が「昨日結婚式だった」という写真を載せていて、その彼女が映っていた。

その後の僕の脳内作戦会議はこんな感じだ。

「あ、しばらく返信がなかったのは結婚式だったからなんだな。」

「あったらまず『結婚式いってたんですね、そんなタイミングに誘ってすみません!インスタで見てめちゃめちゃ綺麗な人いるなーと思ったら●●さんでした!』みたいな感じで入るか」

「たぶん、僕の性格上、好意を抑えることは無理だな。もう最初から『会いたかったです!!』ぐらいのバリバリテンションで行こう」

「大学の学園祭のファッションショーに出たあの人が綺麗すぎて、その時から好きなんだよな~。『あの時マジできれいだった』ぐらいは言おう」

「前会ったときは彼氏いないって言ってたけど、もしかしたらもう彼氏できた可能性もなくはないな。そしたらもう好きだってことも全部ぶちまけてしまおう」

「あ、このフレーズいいかも。言ったら絶対ウケるぞー!」

「これだけなかなか会えなかったから、次いつ会えるかわからない。今日、絶対何か結果を残さなければ」

 

冷静に、こんなやつ怖すぎるのだ。

正直これ以上のことを勝手にシミュレーションしている。

考えながら、BGMにはプロレスラーの入場曲を流している。試合前の気合の入れ方かよ。

時間が近づくにつれて緊張が高まる。めちゃめちゃ口が乾くし、タバコもいつも1日1箱ぐらいなのに、2時間で1箱吸っていた。

 

ここまででお判りいただけるように、完全に「かかって」いる状態のまま、僕は待ち合わせに向かう。

 

待ち合わせ時間の30分前についてしまう。

2回トイレに行く。

持ってた水も飲みほしてしまったのでもう1本購入。

脳内作戦会議の内容を振り返る。

 

18時。

 

改札を通ってきた彼女が見えた。

 

(来た!よし、作戦会議の内容では、「お疲れ様で―す!!いやー会いたかったです!!」のテンションでだぞ!!)

 

手を振り近づいてくる彼女。

そして僕の一言目。

 

「…お疲れ様っす」

 

 

ここから僕は記憶はあるけれど、意識は正直ない。

スタートミスった僕は全然作戦通りじゃないことに焦りおどおどする。

 

待ち合わせ場所からの移動も彼女に主導権を握られそうになったので、かなり強引に決めていた店へ行くことにする。

そこは僕のクソみたいな嗅覚で見つけた「安くてうまい大衆酒場」。

入店するも奥の席が空いていないからと入口の割と寒い席。

 

テンパる僕。

やや戸惑い気味の彼女。

全然予定通りじゃないので焦る一方、朝からバッキバキにかかっているので、話の流れも完全に無視する勢いでとにかく質問したり準備していた好意丸出しフレーズを叩き込む。

しかしあまりの焦りと緊張で頭真っ白になって聞きたいと思っていたことがほぼ全部飛ぶ。

そしてどうしようもなくなった僕はそのまま「色々聞きたいことあったのに緊張して全部飛んだー!!」という。

おそらくゴリゴリにスベっていたけれど、もう視野がめちゃめちゃ狭くなっているので気づかない僕。

緊張のため口が乾きまくり、普段飲む量の3倍の量のハイボールを飲む僕。

隣の席で店員と客がもめて追い出されるというハプニングが起こってたが、それに気が付かないぐらいに視野が狭くなる僕。

 

気が付くと3時間半ぐらいたっていた。

 

お会計をして出る。ちなみにさすがは安くてうまい店。僕がガンガン飲んだのに7000

円。そしてなぜか2000円彼女に出してもらってしまった。

 

いつもでは信じられないペースで飲んでしまった僕。

外出てめちゃ酔っていることに気づく。

 

ぜんぜん思い通りにいかなかった後悔が押し寄せる。

「これでは全然結果が残せていない!まずい!!!!」と思った僕。

気がついたら、こんなことを口走っていた。

 

 

「あーもう、●●さん、僕今日いうつもりなかったんですけどね!僕ね、●●さんのことめっちゃ好きなんすよ!!」

「でも付き合ってほしいとかではなくて!いや、付き合ってほしいにはほしいんですけど!」

 

自分でもびっくりな告白。

もう彼女がどういう反応してたかはわからない。見れてないし声も僕には認識できなかった。

 

改札を通る。

「とりあえず、就職決まったら就職祝いでまた会ってください!」という僕。

背中をパンパンッと2回たたかれてさようならした。

 

帰りの電車。全然思い通りにいかなかったこと、想定外の告白をしてしまったことの後悔が押し寄せる。ちなみにがっちり酒に酔っている。

 

そして帰宅。酔いは割とさめた気になって、様々な後悔と反省をする。

ちなみに、まだこの時僕は自分が気合が空回りしていることに気づいていないし、まだ”かかって”いる。

 

そして冷静になった気分になってこんなラインを送ってしまう。

「今日はありがとうございました!無事帰れましたか?」

「帰って酔いがさめて、勢いでとんでもないことを言って猛省してます…。でも冗談じゃなくて好きなのはかなり本気です。もしよかったらまた会ってくれると嬉しいです!」

 

 

それ以降、本日に至るまで既読無視状態である。

 

中学生みたいな恋愛の仕方で、とんでもない空回りをしたことに気づいたのは翌日の朝である。

 

気合を入れすぎた結果、逆に恐らく良くない印象を与えて彼女を困らせてしまい、めちゃめちゃダサくてなんの結果も残せないという(そもそも残す必要もなかったのだが)最悪の結果となった。

 

彼女も、バッキバキにキマッる僕のこと怖いしめんどくさかったろうなと思うと、3時間も一緒にいてくれてありがたいし申し訳ない気持ちになるわけです。

 

そしてバッティングと同じで、気合を入れすぎたり準備に力を入れすぎると、ここぞというところで力を発揮できないということ、ある程度リラックスした状態でいた方がよいということの重要性を痛感したわけです。

 

その他にも自分のやばい一面がかなり現れてしまったと本当に反省している。

 

この出来事に関連して、色々と思うことがあるのでそのうちまた書こうと思います。

 

 

とにかくこの話をブログに書くことで、供養させていただきます。

合掌。

 

 

 

頭の中の混沌について

 

最近自分の考えの移ろいが激しい。

 

以前、オードリーの若林のエッセイ「社会人大学人見知り学部卒業見込み」について書いたが、その続編「ナナメの夕暮れ」を先日読み終えた。

 

自分にとってのバイブル2冊目となった。とても充実した内容だった。

この本の中では、若林は1冊目のエッセイに書いた内容や以前の考え方を否定しているというか、とらえ方が変わってきているようなことがよく書かれていた。

 

読みながら共感していた内容が、実はもっと違うとらえ方ができるということにハッとさせられたり、今僕はアラサーなわけだけど、40代が近づいてくるとまた違う感覚になることなどが書かれていたので、今僕が感じている・考えていることもいずれまた違う感覚になっていくのだろうかと考えさせられたりした。

 

面白いのでぜひ読んでもらうことをお勧めする。

 

この本を読んだ影響や、最近会った人や触れたものの影響で、僕の頭の中は目まぐるしく移ろい混沌としつつある。

 

以前にも書いたが僕は自分のことを自意識過剰だと思っている。

自分のことばかり、ずーーーーーっと考え続けてしまっている。

自分は全く完璧な人間ではないと思いつつも、色々経験して「自分にはこれができる、こういうところは他の人と比べてもいいところだ!」と自信を持っているものもあったりする。

 

特に昨年実家に帰ってきてからは、失ったいわゆる「自己肯定感」を取り戻すために、自分の良い部分を何とか見つけ出そうと自分で考えたり人に聞いたりしてきた。

そうしているうちに、気が付くと「自分は人としてあるべき姿、最もよい生き方・考え方を持っているのではないか、人に好かれる性格、言動ができているんじゃないか」といううぬぼれに近い考えを持つように最近なってきてしまっていることに気が付いた。

 

でもそれは本当にうぬぼれで、実際はそんな自分は立派な人間でもなんでもないというj事実を最近突き付けられている。

 

たとえば僕は「人の話を聞くのが得意」と思って“いた”。

でも先日ある人に会って話をしていたのだが、その人と話すときその人の話を聞くとか話題を引き出すとかそういうことは全然できておらず、「ちょっと盛り上がりそうな面白いフレーズを思いついたぞ、どのタイミングで話そうか」とか、そういうことばかりを考えていることに気づいてしまった。基本的な考えのベクトルが自分に向いていることがわかってしまった。

全く「話を聞くのが得意」ではないことがわかってしまった。

 

人と会った帰り、結果その人のことを色々知ることができたと思って帰ることは少ない。

楽しかった という感想はあるが、それは「自分のことを話すことができた、自分のコメントで場を盛り上げることができた」という自己満足でしかないのではないかと思うことが多い。

 

一方でいろんな本を読んだり人の話を聞くとその「自己満足」だとしてもそれすらも肯定してあげることが「自己肯定感」につながるだとか、ありのままの自分でいることを認めてあげようとか、また違う視点の意見が出てくる。

 

ある考えを持っていてそれが正しいと思っていたら、どこかで「その考えは間違っている」と否定され、「こういう考えをした方がよい」といわれる。

そして考え方を正そうとしていたら、また別の場所では「もともと考えていたことが、本当は正しいんだよ」なんて言われたりする。

正しいとは何なのだろうか。

 

この世の物事には答えというか、「真理」とでもいうようなものがあると信じていた。

その「真理」にたどり着けるようにと色々考えて、いろんな人や本やものから情報を集めてきた。それらしきものを見つけて、そのような人間になろうと完璧を求めてきた。

こうやって自分の生き方の「真理」を見つけようとすることを「自分探し」なんて言うのだろう。

 

でもどうやらそんな「真理」なんてものはないみたい。

 

だってみんながいう「真理」っぽいことがそれぞれ似てることもあれば、正反対なこともあるし、自分の考えが「真理」だと思っていたら、実は正しくないことだったりするわけで、去年帰ってきてからずっと何か月も、もっと言ったら思春期の頃からずっと考えてきていたけど全然「真理」らしきものにたどり着ける気配がないから。

 

考えることに疲れてしまった。

 

普通の人はこんなに自分のことについて考えないのだろうな。

「自分探し」なんてものは、ないものを探すようなものなんだろう。

いまこう思っていることが、今僕にとっては「真理っぽい」のだけれども、これまたいずれ違う考え方が出てくることになるのだろう。そう思うとグルグル考えをめぐらして、「自分探し」だけを必死にこいて時間かけてやっていてもしょうがない気がしてきている。

 

 

このように頭の中では抽象的で様々な考えが巡って大忙しなのだけれども、現実世界の現象として絶対的な「真理」がある。

 

それは僕が今仕事をしていなくて、仕事探しが実績として全く進んでいないという事実。

 

頭の中で、自分が本当にやりたいことは何かとか、できることは何かとか、成し遂げたい夢は何かとか、答えが出るかどうかわからないものをずー―――――っと2か月3か月考え続けてきたけれども、結局それらしきものがぼんやりわかるばかりで、答えなんて出ないで、状況は全く変わらず時間だけが過ぎてしまっている。

 

 

今までの時間が無駄だとは思わないけど、時間の使い方としてもったいなかったなと思う。

「100点の絶対的な正解」という存在しない問題の答えを出そうとして時間を費やすより、「60点ぐらいのまあまあ正解」なら割とすぐ出せる問題を解いた方がいい。2問解けば120点で上回るんだから。

 

 

自分に絶対的な考え・信念がある人にあこがれるけれど、自分の性質にはそういうことは合わないみたい。

流され考えがコロコロ変わるのが自分なのかもしれない。

 

「暫定」の自分でとりあえず進んで行って、ちょこちょこ修正を加えていけばいいのだろうな。

 

毎日ドトールで自分探しをしているわけにはいかないと思ったので、最近はできるだけ就活を進めるようにしている。動いてしまえば案外悩んでいることもすぐ解決したりする。

 

「あぁ、こんなもんか」と思うことが多い。

 

世の中は自分の頭の中よりも、だいぶシンプルなのかもしれないな。

 

こないだゴルフに行ったときに気づいたけれど、17ホール目ぐらいの疲れて力が入らないぐらいの時の方が、いい具合に力が抜けていい打球が飛んだりする。

 

案外力を抜いたほうが、ことがうまくいくことが多いのかも。

 

もう頭の中のゴルフ場を何ホールも歩き回って疲れちゃったから、頭の力抜いて生きてみよう。

 

なんかうまくいきそうだ。

 

軍団について

 

大学時代、僕には「軍団」がいた。

改めて書くと非常に恥ずかしい。

 

大学の学科の1個下の“女子10人”という本当になぜできたのかよくわからない軍団だ。

 

僕の行っていた大学は、地方の大学なので結構全国から集まってきていて初めての一人暮らしをする人が多い。

 

学科の人数も80人ぐらいなので、大学にすぐに慣れる・友達を作りやすい環境を作ることを目的として、2年生が入学したばかりの新1年生をサポートするというのが大学の慣習としてあった。

 

僕も入学したときは先輩にかなり世話になったので、2年になったときには割と先頭に立って新一年生のサポートをしていた。

 

そんな時に、本当にひょんなことから新一年生のある女子から「竜平会みたいな軍団作りましょうよ!」といわれてできたのが、僕の軍団である。

 

基本的な活動は、たまに僕のアパートにみんなが集まり、僕以外のみんながワイワイ話して、たまに僕がイジられて、あとは基本的に僕はニコニコしながら酒を飲むというもの。

 

今文字にして客観的にみると本当にわけがわからない集団なのだが、中高男子校で女子と仲良くするということに全く慣れていない、かつ後輩付き合いが基本的に苦手な僕は理由が何であれ慕ってくれる女子の後輩がいることがうれしくて、この軍団が割と好きだった。

 

ちなみにその中で僕に彼女ができるということはなかった。本当に悲しい。

僕が好意を持った子はいたが、まあほぼ全員にすぐ彼氏ができたので何も起こらなかった。

改めて言うが本当に悲しい。

 

とはいえすぐ解散になるだろうと思ったがなんだかんだ僕が卒業するまで集いは続いた。

卒業する時には、僕だけのための追いコンを開いてくれた。実はかなりうれしかった。

 

卒業したらもう関わりがなくなるかなと思ったけれど、その後も会うメンバーは5,6人に減ってきたけれどちょくちょく会っていて、実は今までつながりが続いている。

 

そして本日、そのメンバーのうちの一人が結婚して子供ができたということで、その子供に会うという目的で軍団メンバーがオンライン含めて久々に集まったのである。

 

実に10年近い付き合いになることにも驚くし、まさかメンバーの子供に会うことになるとは当時は思ってもいなかった。

 

集まるたびに思うのだけれども、当時僕は彼女たちに何かしてあげたという記憶もないし、ただ集まる場所を提供して僕のダラダラしたしょーもない話を聞いてもらっていただけという記憶しかないので、なんでこんなに続いているのかわからない。

 

まあ基本的にはナメられているのだけれども。

 

とはいえ、10年近くつながりがあること、慕ってくれていることが、あまり表には出さないけれども正直めちゃめちゃ嬉しい。

 

他の人から見たら変な関係なのだけれども、ただの後輩でもないし、友達でもなく、家族に近いような、僕としては今後も大事にしていきたい関係だと思っている。

 

まずは今日会った子供がどう成長していくか、親戚のおじさん的目線で見守っていきたいなと思う。

 

全然関係ないが、マヂカルラブリーの村上には「村上ガールズ」という人たちがいるらしく、その女子たちを引き連れて高円寺を闊歩しているらしい。そのうち誰かと付き合うとかそういうのはないらしい。

 

番組でめちゃめちゃ突っ込まれていたが、まさに僕の軍団とそっくりじゃないかと思い、やっぱり変な関係なんだなと恥ずかしくも誇らしい感じがした。

新年について

 

気が付けば年が明けて1週間以上経ってしまった。

 

昨日うちと従兄弟の家族が集まっての新年会があった。

こうやって集まって新年を迎えることができたのは僕としては実に3年ぶりだ。

 

まあ3年なんて大した時間じゃないのかもしれないけれど、自分としては帰りたくても帰れないという状況だったので、こうやって家族が集まれることをとても幸せに感じている。

 

これからは家族を大事にしようと心から思った次第です。

 

さて、新年も明けたということで今年の目標を立ててみようかと思ったわけなのだけれども、毎年立てた目標を2月ぐらいになって忘れてしまうことが多かったので、今年は大きな目標を立てることはやめにした。

 

その代わり、2022年中にやりたいことを書き出せるだけ書き出してみた。

今のところ45個のやりたいことが出てきたので、今年はこのやりたいことのうち約7割、30個を達成することを小さな目標としてやっていこうと思う。

 

そしてテーマとしては

・心身の健康

・素直に過ごす

・リスタート

の3つを意識して過ごしていきたいと思う。

 

今年はかなり転機になる1年になると思う。自分に素直に、健康に過ごして、新たなスタートをしっかり切ることが大事になる1年かなと思ったので、この3つのテーマを持つことにした。

 

あとは色々この1年そしてその先について考えてみたけれども、正直今後どうなるかなんて予想できないし、計画立てたり考えたところでその通りになることはほとんどないということが今までの経験でよーーーーくわかったので、あえて計画や目標を立てずに目の前のことをコツコツ頑張ることをひたすら続けていこうと思う。

 

 

今年のおみくじが大吉で、“素直に過ごしなさい”的なことが書かれていたので、その通りに自分に素直に、自分の心のままに、人に感謝して、よい1年にできたらいいなと思います。

 

今年もよろしくお願いいたします。

2021年について

しばらくブログを書いていなかったら、気が付いたら今年も今日でおしまいになっていた。

 

 

2021年は、人生でこれ以上ないぐらいの激動の1年だった。

 

去年の今日からは考えられないぐらい、自分と自分の周りの環境が変わった。

今年の出来事がすべて1年の間に起ったこととは思えないぐらい、自分の中では大事件な1年だった。

 

8月までの出来事は正直まだしっかり振り返ることができない。

色々思い出すと嫌な記憶ばかりよみがえってしまうし、暗い気分になってしまうので。

 

でも僕にとって地獄のような日々も、今年の出来事だったと思うとずいぶん前に感じる。

人生最悪の誕生日の誕生日も、3つの仕事を掛け持ちして心身ともに限界になったのも、それでも職場の人に助けられてなんとか苦しい生活から抜け出せたのも、すべて今年の出来事。

 

帰ってきてからの出来事だけでも、実際は4か月ぐらいのことなのに1年ぐらいあったんじゃないかと思うぐらい、濃い毎日だった。

 

何年振りかにしっかりと家族と話して過ごすことができた。

静岡の仕事を全部やめた。

母校に行って、逗子の海を眺めて、先生方に会って力づけてもらった。

何年振りかに大学の学科の同期に会った。

高校の部活の同期と久しぶりに会い、ゴルフにも行った。

自分を見つめなおすために、たくさんの本を読んだ。

たくさんの音楽を聴き、救われた。

結婚式に行けなかった兄に何年振りかに会えた。

結婚式に行けなかった従兄弟の引っ越しを手伝った。

ずっといけていなかった草野球に行き、久しぶりにもかかわらず皆さんに受け入れてもらえた。

大学時代憧れだった先輩と飲みに行くことができた。

大学の友人がやってるシーシャバーで初めてシーシャを吸った。

生まれたときにしか会えてなかった甥っ子が3歳になっていて、懐いてくれた。

大学の部活の先輩に会って、今後についての色々な話をしてくれた。

中高の親友に会った。あいつも頑張っていることを知り、元気が出た。

5年ぶりぐらいに最初の会社の同期6人全員が集まれた。その流れで最初の会社の先輩後輩とも会って話ができた。

離婚が成立し、静岡の荷物もすべて片づけすべてが終わった。

祖母が亡くなった。家族について、死について色々考えることとなった。

一人でクリスマスにイルミネーション巡りをした。

高校の部活の同期・後輩とゴルフへ行った。

頭おかしくなるぐらい自分のこと、これからのこと、自分がやりたいこと、仕事のことについて考えた。

 

この1年で仕事も金も何もかも失ったけれど、それ以上に得たもの、取り戻せたものが多い1年だった。

 

自分の周りにこんなに素晴らしい人たちがいることに改めて気づいたし、皆に助けられた。めちゃめちゃ感謝の1年でもあった。

 

周りにも助けられたけれど、自分でも行動しなければ何も変わらないし、何も起こらないということを痛感した1年であった。

 

本当に、帰ってきてよかったと思った1年であった。

 

2022年は、どんな1年になるのだろう。

また予想だにしないことがたくさん起こるのだろう。

よい1年になるといいな。

 

今年も皆様大変お世話になりました。

来年もまたよろしくお願いいたします。

では、よいお年を。

ハヌマーン『幸福のしっぽ』について

たぶん人生でこの曲より刺さる曲は現れないだろうなという曲がある。

それがハヌマーンの『幸福のしっぽ』という曲。

 

ハヌマーンはもう解散してしまっているバンド。ボーカルが別のバンドで今はバズマザーズというバンドをやっていて、そちらも好きだけど僕はハヌマーン時代の曲が特に好きだ。

ハヌマーンはよく話題にも出てくる僕に音楽を教えてくれた大学の友人Hが大好きで、その影響で聞くようになった。当時入っていた軽音サークルの同期の会長がハヌマーンコピーバンドを組んていて、大学生活最後のライブでこの『幸福のしっぽ』を演奏したときに、あまりのすばらしさに言葉を失ったのをよく覚えている。

 

とにかく一度聞いてほしい。

 

youtu.be

8分という長い曲だけど、それを感じさせないほど、人生どん底の自分に、あまりにも刺さりすぎる。

すべての歌詞というか、言葉がすべてグッとくる。コンディションによっては聴くだけで涙が出そうだ。

うまく表現できない自分の語彙力の無さが悔しいほどにとても良い曲。

 

以下歌詞

 

また転んだ

日々が行く

なんで僕だけと呟く

運命って言葉が浮かぶ

手も足も出せずに笑う

いつも

 

伝えられないことばかりが

性懲りもなく溢れ出す

駄作は全部置いてくから

死にたくなったら歌えよ

 

地下鉄の窓越しに

いつかのあの娘に似た人

愛していたような

不安の捌け口にしていたような

 

それでもまだ人間でいたくて

明日もまた同じ場所へ同じ手段で行く

それでもまだ人間でいたくて

彼らの理不尽さも品性の無さも受け入れてかなきゃ

 

晴れでもない代わりに雨でもない日の昼間に

喜びもない代わりに悲しみもない日の昼間に

ランチを相席した気立ての良いお婆さんに

名前を聞かれ思わず出鱈目な偽名を名乗ってしまった

 

あくまでただの人間であって

ごめんよもう自分でなんていたくもなくなったよ

さよならもう夢でさえ会えないあなた

伝えられなかったまま行間の中で腐敗する愛

 

ようやく掴んだ幸福のしっぽ

もう離すもんか幸福のしっぽ

お前が逃げるせいで散々な目にあった

思えばお前のせいで信用なくした

近づいていたつもりが

高速ですれ違っていただけ

 

それでもまだ人間でいたくて

明日もまた同じ場所へ同じ手段で行く

誰もがまだ人間でいたくて

見えないことにした

からくりも種も仕掛けも

 

明日どれだけ面倒でも

部屋の掃除をきちんとするよ

たまった洗濯物も干して

あなたを思って言葉を書くよ

暮らしがどれだけみすぼらしくて

維持するだけで目が回っても

ただ受け容れるだけの掃除機と

回り続ける洗濯機のように

好きな歌など聴けなくても

会いたい人には会えなくても

行きたい場所には行けなくても

黙って全てを受け容れるから

そしたらまだ

人間でいられるんかなぁ?

母さん

 

 

 

解釈の仕方は、聴くとき、状況、人によって全然変わってくると思う。

正直自分の解釈も、聴くたびに変わる。得られるものも違うので、言葉にすることができない。とにかく胸を打つ。吐きたくなるような、安らかに眠れるような、元気が出るような、そんな感情になる。

この世のすべての人がいい曲だと思うわけではないと思う。

色々苦しんだ経験があったり、能力がなかったりして劣等感が強い人間であったり、そういうことを考えすぎてしまう自意識過剰な人間にはとても刺さるんじゃないかなと思っている。

 

共感してもらえなくてもいいので、この曲の良さを自分なりの解釈をもって理解できる人ともし今後出会えるなら、深い付き合いができそうだしそういう人と長く付き合っていきたいと思う。

 

今日も明日も、どれだけ面倒でも部屋の掃除をきちんとして、当たり前のやらなければならないことをしっかりやって、思い通りにいかないことがたくさんあったとしても黙ってそれを受け入れて、そうすれば、僕も人間でいられるのかな。

 

そんなこと思いながら、昨日より今日は少しだけ頑張ろうと思う。

明日は今日より少しだけ頑張ろう。

 

一生聴き続けたい名曲です。

大学時代の友人との忘年会について

先日、大学の学科の同期8人で忘年会をした。

 

これだけ大勢であつまるのは本当に久しぶりで、その場に居られるだけで本当に帰ってきてよかったなと思った。

 

大学時代、めちゃくちゃデリカシーがなくて勢いだけで生きているような人間でめちゃくちゃ嫌いなYというやつがいて、そいつも忘年会に参加していた。今ではまあYのことも許せるようになって、そいつも性格に丸みを帯びた感じがしたので普通に会えるようにはなったのだけれども。

 

2次会で、男4人で飲んで深めの話になったときにYに少し話を聞いてみた。

その時は、大学時代一緒にバンドを組んでいた音楽好き3人とYという感じだったので、音楽についてあれこれ語っていたときに、ふとYに聞いてみた。

「俺たちは何かつらかったり、人生で悩んだりするときに音楽とか漫画とか本とかを読んで救われてきたんだけれども、お前はそういうときどうしているの?」

 

Yから帰ってきた言葉はこうだった。

 

「そもそもそんなに落ち込んだり悩まないし、悩んでもすぐ忘れちゃうから、そういうものはないな。」

 

こういうやつがこの世に本当にいるのかと、とても衝撃だった。

羨ましく思った。こちとら救いがなければ立ち直れないような日々を何度も経験してきたというのに、それが必要ないなんてめちゃくちゃ羨ましい。

それと同時に絶対その方がいいと思うけど、なんか深みがなくてつまらない人間だなとも思ってしまった。そういう音楽などのサブカルチャーや趣味の本当の深みを理解することがないのだから。

だから、大学時代僕はYのことが嫌いだったんだと思った。羨ましさからくる嫉妬と、話があまりにも合わないことにイライラしていたんだろう。

 

どっちが正しいとかはないけれど、僕は自分の考えすぎる自意識過剰の性格の方が、色々面倒ではあるんだけれども、人生面白く過ごせるような気がした。

変な形で自己肯定感が上がった。

 

他にも僕に音楽を教えてくれて考え方とかもかなり影響を与えてくれたHというやつが、さんざん女遊びをしてきたけれど、結局大学時代に好きだった子のことが忘れられないという話を聞いて、みんなそんなもんなんだなと思ったり、たまには遊びでバンドやろうぜという話が上がったり、とても良い会だった。

 

ただ、ここ最近友人と会うと自分の無職という状況が情けなく思えて劣等感に苛まれてしまうので、そろそろ自分と向き合ってこの劣等感から解放されたいなと思う。

 

そして最後はYに誘われて朝までカラオケをしたわけだけども、飲みゲーカラオケみたいな感じで非常につまらなかったし体調悪くなるし得は一つもなかったです。

 

やっぱり嫌いだわ。