フラワーカンパニーズ『深夜高速』について
フラワーカンパニーズの『深夜高速』が好きだ。
初めてこの曲を聴いたのはおそらく20歳前後のころ。
大学の一番の友人の影響でロックバンドをよく聴くようになったばかりのころだ。
ちょうど20歳前後の時は、大学生になってはしゃぐ自分と、周りの人のすごさに嫉妬したり情けなく思う自分との間でモヤモヤした気分になったり、浪人して同い年の人たちから遅れた人生を歩んでいるという「同じはずなのに遅れている感覚」に苦しんだり、男子高出身で女性とのかかわり方がわからず、好きになる人ともうまくいかず、自分のことを自虐をしてピエロになって周りを笑わせるうれしさと虚しさの入り混じった感覚を持って暮らしているという感じであった。
みんなに嫌われたくないと周りの様子をうかがいながら、ただ自分の感性に合わない人にはひどい言葉を並べたり不満を述べて、笑いを取って、今となって考えれば浅はかな生き方をしていたなと思う。
自分がどうありたいかなんて、わからないし考えてもいなかった。勢いだけで毎日が過ぎていた。
そんな時に『深夜高速』を聴いた。衝撃が走った。目的地もわからず日々暮らしている自分にグサッと響いた。
“生きててよかった そんな夜を探している”
模索して日々暮らしていた自分に、まさにぴったりという感覚があった。
苦しいときはこの曲を聴くことが増えた。
そんな初めて聞いた時から10年弱の時が経ち、改めてこの曲が頭にかき鳴らされる時が来る。
2021年8月22日。
おそらくこの日を忘れることは一生ないだろう。
その時、僕は静岡で暮らしており元妻からDVとモラハラを受けていて、基本的にお金を持つことは許されず、平日昼は正社員として工場の工程管理の仕事をして、夜にはファミレスのバイトかクラウドソーシングでの仕事をして、土日はガソリンスタンドでバイトをし、帰れば大概元妻は友達と遊びに行っており、会話をすればイライラされて人格否定の言葉を投げかけられ、殴る蹴るなどの暴力を振るわれるという生活をしていた。
家族とも連絡を取ることを許されておらず、友達と会うこともほとんどなかった。
何もかも限界だった。
「死んだら楽になるのにな」と毎日思っていた。
日々を暮らしていくことだけで本当に必死。
死んだら会社やいろんな人に迷惑がかかるから死なないようにしようということだけが生きている理由だった。
そして8月22日。日曜日だった。いつも通り私はガソリンスタンドのバイトへ行く。
前日は結婚記念日だったが、うまく歯車が合わず元妻からひどい暴言をと暴力を受けた。
その時とどめを刺されたのは「お前に感謝するわけない」という言葉だった。もう終わりだと思った。
そんな話を普段からよく話をしていたバイト先の3つ上の社員のお兄さんに話をした。「お前もう駄目だよ、やめた方がいい。帰ったら『もう無理です』の一点張りで話をしろ。相手がワーワー言ってくるだろうけど押し通せ」そう言ってくれた。僕ももう無理だと思ったから、そう伝える決意をした。
家に帰ると元妻は友達と遊びに出かけていてまだ帰っていなかった。
僕は帰りを待つことにしたが、その待っている間、話をしたときにどう言われるか、何をされるか想像するととてつもない恐怖に襲われ過呼吸になった。
次第に手が、足が、顔が、全身がしびれていき、立つこともできず床に突っ伏してしまう状況になった。
その時、バイト先の兄さん(Mさん)が前に言ってくれた言葉がフラッシュバックした。
「もうやばいと思ったときは電話してこい。助けに行ってやる」
必死の思いでMさんに電話した。涙が止まらなかった。「こんなことで連絡してすみません、もう限界です。体が動きません。助けてください。」
Mさんは「とにかく、最低限必要だと思うものをもって、気合で外に出ろ。嫁に見つからないところに行って、位置情報を送れ。そこに迎えに行く」といった。
もう何が何だかわからないけど、携帯と1,000円ぐらいしか入っていない財布と充電器、コンタクトケースと洗浄液、没収されたタバコとなぜがバイトの制服を持って家を出た。
近くの公園で待っていると、バイト着のままのMさんが迎えに来てくれた。
「お前はよく頑張った。実家に帰ろう。送ってやる」
そう言って夜8時ごろなのに住んでいた静岡から横浜の実家までMさんが車で送ってくれた。
涙が止まらなかった。今まで抱えていた何かが崩壊した。
道中、富士のパーキングで母へ電話をした。実に2年ぶりの親への連絡だった。
「帰ってらっしゃい」
その一言がこんなに重く感じたことは後にも先にもないだろう。
そして横浜へ向かう途中、ちょうど富士のパーキングあたりから見えた夜景がとてもきれいだった。Mさんが笑いながら言った
「すごくきれいに見えるだろ。あれがお前の未来だぞ!」
とてもクサいフレーズだったけどとても胸に刺さった。
そんな夜の高速で頭の中に突然流れたのがフラワーカンパニーズの『深夜高速』だった。
シチュエーションがその通りだったというのもあるが、
目的地も生きる意味も分からず暮らしていた自分の今までの人生と重なった。
“生きててよかった そんな夜を探してる”
まさにそんな状況だった。
“ヘッドライトの光は手前しか照らさない”
先のことなんて全くわからない状況だった。
自分もよくないことをした。苦しい思いもたくさんした。
“涙なんかじゃ終わらない、忘れられない出来事 ひとつ残らずもってけ どこまでもってけよ”
この経験をすべて持って、自分はこれから“生きててよかった”と思える瞬間に向かっていくんだ。そう思った。この苦しみから解放されて、自分として生きていくという決意を持てた。
この曲は最後“生きててよかった”で終わる。
苦しくも希望と決意に満ちた、そんな曲だと思う。それが自分と非常に重なり、忘れられない曲になった。
その後、周りの人の協力もあり元妻との離婚が成立し仕事もやめた。
今は自分がどうあるべきか、何がしたいかを見つめながら仕事探しをしている。
僕の人生はまだ今は深夜高速の真っただ中なのかもしれない。でも少しは目的地が見えてきている、そんな気がしている。
あの夜の東名高速道路と富士の夜景は一生忘れることができない。
そして『深夜高速』が、音楽が私を救ってくれた。音楽がかけがえのないものだと実感した夜だった。
生きててよかった
そんな夜を探して、これからも生きていこうと思う。